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かえていくこと

20年以上前、社会福祉学科のときに就職活動をしていました。

まわりの学生も就職活動をみていると福祉職に就くことが当たり前のような感じがありました。できれば公務員になれば給与も身分もそれなりに保障されます。市区町村や県の外郭みたいな社会福祉協議会や社会福祉事業団も場所よっては公務員並みの待遇がありました。私が新卒で就職活動をしていたときも「私が地方の福祉を変える」みたいな意識でがんばっていました。バイトを通じてオファーがあった商社2社と地方の社会福祉協議会に正職員で内定をいただきました。

民間企業は商社であり、当時は大学で専門の勉強をしたことを生かせないのでパス。大学での勉強を生かせるので社会福祉協議会に進むことにしました。

しかし、手続きにいき給与をみて唖然としました。手取りは10万円以下、通勤手当も往復30キロ以上なのに月に2000円という額でした。

卒業前に病気になり就職辞退をして医学部受験を視野にいれて選任の塾講師となったのです。

福祉職も介護職も非常に薄給です。

国策でどんなに給与を上げろといっても上がりません。

一因には、福祉職は「いい人」が多いので、そこにつけこんでいる感じもあります。また、酷使されて、すぐにやめるので使い捨てのような感覚も上の人間にあるように感じています。
かえていくこと

私がかつて勤務したコムスンという介護会社がありました。2000年の介護保険導入時に大々的にスタッフの募集をしました。この給与が当時は話題になりました。

数値は明らかに覚えていませんが、おそらくケアマネージャーには32万円、介護福祉士28万円、ヘルパーにも22万円という高給優遇でした。

これは当時の社長だった方の英断と日本の閉塞的な介護福祉の状況を変えたかったという意識があったのです。

そのため多くの施設や同業他社から優秀な人材が集まってきました。多くのスタッフが去り、こまった施設や介護会社も多くありました。今までの行政の保護のもとでやってきたところはコムスンを目の敵にしていました。しかし、コムスンは引かずにあえて難しい介護(山間部や夜間・深夜や関わることが難しい方など)を受けていました。最後は介護報酬の問題で消滅するかたちになってしまいましが介護の世界に新風を送ったことはかわりありません。

当塾も同じように「席次だけ信仰」や「生徒を商材」にするのが当たり前になっている沖縄の塾業界に「当たり前」の風を送りたいと思っています。上から目線と思われるかも知れませんが、明らかにおかしな状況は打破しないといけません。

地道に正直にまじめに歩んでいくしかありません。

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