大学受験に失敗した場合は、今までの勉強法をゼロから見直さないといけない。
理由は簡単だ。
今までの方法が間違っていたのだから、それを見直さない限り、再度失敗する。
使用している単語集
使用している参考書
使用している問題集
勉強時間
勉強姿勢
予備校での授業の受け方
これが自分にあっていないとか、志望大学のレベルに達していないとか、共通テストに向いていないとか・・・。
いろいろある。
私は浪人中にいろいろな参考書を買った。
特に苦手科目のものはいろいろ手を出した。
特に化学が苦手だった。
「ダメだな」と思ったらすぐに買いなおしたものだ。
参考書に頼ってもダメだと1浪で失敗したときに悟った。
2浪目も代ゼミの本科生になった。
1浪目と同じ国公立大学医学部コース。
1浪目と同じくクラス分け試験がないと思って試験を受けなかった。
案の定、2組だった。
2組でもバブル期の代ゼミである。
1組と同じ、いや、それ以上の講師が担当した。
現代文に田村秀行先生(現ブロードバンド予備校客員講師)という当時の超一流講師も担当していた。
その中で化学の先生との出逢いがあった。
声が小さく、ぼそぼそ話すので多くの学生が去っていた。
他のクラスで他の講師に替えたのだ。
最後は生徒は私1人となった。
最初から声が聞こえにくいので一番前のセンターに座っていた。
つまり、超大手予備校の代ゼミの本校で1年間個人指導を受けていたのだ。
先生の話はよくわかる。
なんせ「個人指導」だ。
先生の講義で参考書ができるくらいの「ノート」ができた。
しかし、翌年も浪人になった。
更に見直した。
今までは2次私大化学を受講していたが今度はセンター試験に絞ることにした。
すでに本科生ではなく単科で講座を選択した。
塾講師のアルバイトをしながらの浪人生活。
前年に習った化学の先生は代々木本校ではなく池袋校でセンター試験化学を担当していた。
単科でも受講可能。
おまけに塾講師のアルバイト前にいかれる時間だった。
さらに授業前は先生の空き時間だった。
スーツを着て受講。
時々、授業前に質問に行く。
若手の講師と何度も間違えられて食事にオーダーがきたり、お茶が出たりした。
「違います。学生です」と何度もいった。
この授業も途中から私以外の誰もいなくなり「個人指導」になった。
丁寧にいろいろと教えてくださった。
化学はかなり伸びた。
翌年は「仮面浪人」みたいに国文学科に入ったことと、化学は人に教えられるくらいになったので受講はしなかった。
受験勉強をする場所もいろいろ考えた。
1浪目は授業後に高校の同級生と遊んでいた。
この遊び相手は東北大に合格した。
人間関係も見直した。
結局2浪になり孤独に徹するようにした。
勉強も図書館か予備校の自習室を活用した。
代ゼミ本校は常に満員。
学生数が少なく、下位クラス=あまり勉強をしない学生が多い原宿校舎や千駄ヶ谷校舎にいった。
出来たばかりの渋谷区立本町図書館にもいった。
図書館にはいろいろな予備校の生徒がいた。
中には奇声をあげる人や奇異行動をする初老の方がいた。
集中できない。
近隣の小さな図書館にいくも自習できる場所が小さかったり、暖を求めて寝ているホームレスがいた。
集中できない。
結局、代ゼミの自習室で勉強をした。
3浪になって塾講師になってからは時間を大事にするようにした。
最終的に自習場所は山手線の車内で車両の隅っこ。
つまり、消化器のあるユニットの隣の座席。
このユニットが机になり物が置けた。
クリップボードを膝に敷いたり、鞄を膝に置いて「机」にして勉強をした。
塾のバイトに行く前と後に山手線を回った。
バイトがない土日は1日13週したときもある。
1周1時間なので1周で1科目と決めて勉強をした。
数学以外の大半は山手線で勉強をして自宅で数学はやった。
今でも出張などで飛行機や電車で授業の予習や教材作成をするのはこのときに得た経験からである。
毎年毎年勉強に関して見直しすぎたこともある。
だから、今、この仕事に就いているのだろう。
浪人生諸君は昨年のままじゃだめだ。
徹底的な見直しを!
理由は簡単だ。
今までの方法が間違っていたのだから、それを見直さない限り、再度失敗する。
使用している単語集
使用している参考書
使用している問題集
勉強時間
勉強姿勢
予備校での授業の受け方
これが自分にあっていないとか、志望大学のレベルに達していないとか、共通テストに向いていないとか・・・。
いろいろある。
私は浪人中にいろいろな参考書を買った。
特に苦手科目のものはいろいろ手を出した。
特に化学が苦手だった。
「ダメだな」と思ったらすぐに買いなおしたものだ。
参考書に頼ってもダメだと1浪で失敗したときに悟った。
2浪目も代ゼミの本科生になった。
1浪目と同じ国公立大学医学部コース。
1浪目と同じくクラス分け試験がないと思って試験を受けなかった。
案の定、2組だった。
2組でもバブル期の代ゼミである。
1組と同じ、いや、それ以上の講師が担当した。
現代文に田村秀行先生(現ブロードバンド予備校客員講師)という当時の超一流講師も担当していた。
その中で化学の先生との出逢いがあった。
声が小さく、ぼそぼそ話すので多くの学生が去っていた。
他のクラスで他の講師に替えたのだ。
最後は生徒は私1人となった。
最初から声が聞こえにくいので一番前のセンターに座っていた。
つまり、超大手予備校の代ゼミの本校で1年間個人指導を受けていたのだ。
先生の話はよくわかる。
なんせ「個人指導」だ。
先生の講義で参考書ができるくらいの「ノート」ができた。
しかし、翌年も浪人になった。
更に見直した。
今までは2次私大化学を受講していたが今度はセンター試験に絞ることにした。
すでに本科生ではなく単科で講座を選択した。
塾講師のアルバイトをしながらの浪人生活。
前年に習った化学の先生は代々木本校ではなく池袋校でセンター試験化学を担当していた。
単科でも受講可能。
おまけに塾講師のアルバイト前にいかれる時間だった。
さらに授業前は先生の空き時間だった。
スーツを着て受講。
時々、授業前に質問に行く。
若手の講師と何度も間違えられて食事にオーダーがきたり、お茶が出たりした。
「違います。学生です」と何度もいった。
この授業も途中から私以外の誰もいなくなり「個人指導」になった。
丁寧にいろいろと教えてくださった。
化学はかなり伸びた。
翌年は「仮面浪人」みたいに国文学科に入ったことと、化学は人に教えられるくらいになったので受講はしなかった。
受験勉強をする場所もいろいろ考えた。
1浪目は授業後に高校の同級生と遊んでいた。
この遊び相手は東北大に合格した。
人間関係も見直した。
結局2浪になり孤独に徹するようにした。
勉強も図書館か予備校の自習室を活用した。
代ゼミ本校は常に満員。
学生数が少なく、下位クラス=あまり勉強をしない学生が多い原宿校舎や千駄ヶ谷校舎にいった。
出来たばかりの渋谷区立本町図書館にもいった。
図書館にはいろいろな予備校の生徒がいた。
中には奇声をあげる人や奇異行動をする初老の方がいた。
集中できない。
近隣の小さな図書館にいくも自習できる場所が小さかったり、暖を求めて寝ているホームレスがいた。
集中できない。
結局、代ゼミの自習室で勉強をした。
3浪になって塾講師になってからは時間を大事にするようにした。
最終的に自習場所は山手線の車内で車両の隅っこ。
つまり、消化器のあるユニットの隣の座席。
このユニットが机になり物が置けた。
クリップボードを膝に敷いたり、鞄を膝に置いて「机」にして勉強をした。
塾のバイトに行く前と後に山手線を回った。
バイトがない土日は1日13週したときもある。
1周1時間なので1周で1科目と決めて勉強をした。
数学以外の大半は山手線で勉強をして自宅で数学はやった。
今でも出張などで飛行機や電車で授業の予習や教材作成をするのはこのときに得た経験からである。
毎年毎年勉強に関して見直しすぎたこともある。
だから、今、この仕事に就いているのだろう。
浪人生諸君は昨年のままじゃだめだ。
徹底的な見直しを!