『塾講師は教師の成りそこないなのですか?』の質問に応えていこうと思う。
確かに教員を目指していて年齢制限が来た人もいる。以外に多いのは司法試験や医学部再受験で大卒浪人をしている人である。
私が小学校から通っていた塾にS先生という理数担当の先生がいた。3年位で退職された。忘れたころに仲が良かった先生にきいたら医学部に再入学をしたことを知った。今は兵庫県で精神科医として活躍されている。
私の仲間のK先生も中大法学部卒で予備校で独立するまで司法試験受験をしていた。こういったことから考えても「教師のなりそこない」というのはない。
私は長年医学部受験をしながら塾講師をしていて、受験を辞めて精神医療ソーシャルワーカーになったが、やはり教える仕事が好きで医師の子弟や知人の子供を教えていた。神学大学院時代は配属教会の中高生を対象に勉強を教えていた。「教えること」で生徒さんの夢の実現や夢探しに協力したいのだ。
大学時代はアルバイトであったが、非常に責任感が強かったよ思う。生徒の親にも挨拶をしたり、遅い時間になると生徒さんたちと「集団下校」したこともあった。授業も一切、手は抜かずにいた。年下の講師に注意をして訝しがられたこともあったが塾講師に「誇り」を持っていた。この「誇り」は塾長になった今もかわらない。
確かに教員を目指していて年齢制限が来た人もいる。以外に多いのは司法試験や医学部再受験で大卒浪人をしている人である。
私が小学校から通っていた塾にS先生という理数担当の先生がいた。3年位で退職された。忘れたころに仲が良かった先生にきいたら医学部に再入学をしたことを知った。今は兵庫県で精神科医として活躍されている。
私の仲間のK先生も中大法学部卒で予備校で独立するまで司法試験受験をしていた。こういったことから考えても「教師のなりそこない」というのはない。
私は長年医学部受験をしながら塾講師をしていて、受験を辞めて精神医療ソーシャルワーカーになったが、やはり教える仕事が好きで医師の子弟や知人の子供を教えていた。神学大学院時代は配属教会の中高生を対象に勉強を教えていた。「教えること」で生徒さんの夢の実現や夢探しに協力したいのだ。
大学時代はアルバイトであったが、非常に責任感が強かったよ思う。生徒の親にも挨拶をしたり、遅い時間になると生徒さんたちと「集団下校」したこともあった。授業も一切、手は抜かずにいた。年下の講師に注意をして訝しがられたこともあったが塾講師に「誇り」を持っていた。この「誇り」は塾長になった今もかわらない。