高校1年のとき学歴にこだわりまくっていた。
夏は信州の別荘で過ごした。同じ市内に母の実家があって叔父が同居していた。そこには従兄弟がいた。
従兄弟は4歳下。いろいろと学歴に関して興味を持つ時期だった。
叔父がよく
「おめぇ勉強しろ!へぇ?中卒でいいのか!たかしみたいに勉強三昧もいけねぇけどなぁ」
とかいっていた。
自由研究を手伝った。当時導入されて間もない参議院の比例代表制の「ドント方式」を実際に計算してみることになった。
そのときに当選議員の学歴が出ていた。
「にいちゃん!この『中学』って中卒けぇ?」
「そうだよ。だから学歴は大事なんだよ」
こんなことをいっていた。
そんなのをみてよく遊びに来る叔父の親友Yおじさんがいった。
「たかし、人間は学歴じゃねぇ、人間性だ」
Yおじさんは「中卒」だった。そんなことに耳を傾けるわけがない。説得力がないと思っていた。
Yおじさんが非番のときに
「おい!松本いくぞ!」
といった。少し離れた「都会」である松本に私と従兄弟を連れて行ってくれるということだった。すぐに準備をして
松本に向かった。
途中の車内でYおじさんは歩いているフィリピン人に声をかけたり、私と従兄弟が興味を持つ話をたくさんしてくれた。車内は爆笑だった。車内ではケイ・ウンスクの歌をかけていた。
Yおじさんはどこかのホテルの甚平を着ていた。「都会」の松本ではどうみても浮いてしまう。おまけに平日だ。
そんなときに松本パルコあたりだった。三つ揃を来たサラリーマンが
「おい!S(苗字)さんじゃねぇか?何で松本に来るにいってくれなかった!」
と寄ってきた。
「おっ!!今日は『おもり』なもんでぇ!」
しばらく話し込んでいた。私はYさんは何者かわからなかった。普通なら甚平の怪しい人であれば無視するのが当たり前だ。
パルコは井上といった松本の有名店を回った。
Yおじさんは紳士服、婦人服や子供服売り場にいって「これでもない」「あれもだめ」と服を選び出した。
どうやら同居の家族へのものらしい。買い方からいって頼まれたものではないようだった。
子供服やら婦人服やらいろいろ買っていた。
帰りの車で家族のことを話してくれた。
貧しい家の長男に生まれたYおじさんは中学を出て地元の会社に就職をした。免許を取って運転手になり、大型免許を取得してトラック運転手になった。
そして、弟や妹の学費を出した。弟が病気になり、その子どもの生活も援助していることがわかった。
弟も妹も旧帝大を卒業している。
家族のために進学を断念しただけではなく、家族の学費や生活の面倒をみていたのだ。
あの買い物も家族のためであった。
人徳があり、秀でた社交性があることからいろいろな知り合いがいた。悪いことははっきり悪いという。
あのサラリーマンが声をかけた理由もわかった。Yおじさんの人徳からだ。
私はYさんに
「仕事、何をしてる?」
といったら財布の中からバッジを出してきた。
市会議員だ。
つまり、この人徳で議員になったのだろう。いや、市政を変えたいためになったそうだ。
「市役所の議員もバカッコゾウが多いもんだね」(「バカッコゾウ」:スラング:信州弁でいう”うーまく”と”ふらー”の間」)
まったく鼻にかけないので議員だとは感じなかった。何も飾らないありのままのおっさんである。
学歴は事情があって得られない人もたくさんいる。
学歴がなくてもいい人はいる。
「たかし、人間は学歴じゃねぇ、人間性だ」
Yおじさんの言葉がわかった。
こんなことを高校1年のときに悟った。
学歴は武器の1つであって全てではない。実力があれば学歴なんていらない。
しかし、沖縄では本土から不条理を突きつけられないために向上が必要だ。
学歴はフレームであり、飾りである。それが沖縄には必要なのだ。
また、
大学名よりも大学は内容である。
私が大学で学んで2専攻、大学院で学んだ1専攻は教授や内容に自信がある。いきたくていった大学。すべり止めみたいな大学でもいきたくてしかたなかった。だからいった。友人も真面目だった。学んで、卒業してよかった。
先日の校友会で再確認した。
大学の先輩でもある、県内大手の不動産会社を営む先輩のエッセーを読んだ。新聞配達をしつつ苦学して大学を出た。東京で修行を積んで沖縄の不動産業の向上のために国際通りの3間の小さな店からはじめた。そして、今は県内屈指の不動産業だ。こういう先輩を知ると私は燃える。着実に沖縄を変えているからだ。
こんなことを書くと「塾長は矛盾している」と、また、いわれそうだ。
私が小中学生に「東大」を勧める理由は向上心をもって欲しいからだ。大きな目標を持てば妥協しようが挫折しようがそれなりで止まるからである。また、何も勉強することが決まっていないのなら何でも学部学科のある東大がいいからである。
沖縄の学力向上は一筋縄ではいかない。だからこそやりがいがあるのだ。強い沖縄に変えていきたい。
夏は信州の別荘で過ごした。同じ市内に母の実家があって叔父が同居していた。そこには従兄弟がいた。
従兄弟は4歳下。いろいろと学歴に関して興味を持つ時期だった。
叔父がよく
「おめぇ勉強しろ!へぇ?中卒でいいのか!たかしみたいに勉強三昧もいけねぇけどなぁ」
とかいっていた。
自由研究を手伝った。当時導入されて間もない参議院の比例代表制の「ドント方式」を実際に計算してみることになった。
そのときに当選議員の学歴が出ていた。
「にいちゃん!この『中学』って中卒けぇ?」
「そうだよ。だから学歴は大事なんだよ」
こんなことをいっていた。
そんなのをみてよく遊びに来る叔父の親友Yおじさんがいった。
「たかし、人間は学歴じゃねぇ、人間性だ」
Yおじさんは「中卒」だった。そんなことに耳を傾けるわけがない。説得力がないと思っていた。
Yおじさんが非番のときに
「おい!松本いくぞ!」
といった。少し離れた「都会」である松本に私と従兄弟を連れて行ってくれるということだった。すぐに準備をして
松本に向かった。
途中の車内でYおじさんは歩いているフィリピン人に声をかけたり、私と従兄弟が興味を持つ話をたくさんしてくれた。車内は爆笑だった。車内ではケイ・ウンスクの歌をかけていた。
Yおじさんはどこかのホテルの甚平を着ていた。「都会」の松本ではどうみても浮いてしまう。おまけに平日だ。
そんなときに松本パルコあたりだった。三つ揃を来たサラリーマンが
「おい!S(苗字)さんじゃねぇか?何で松本に来るにいってくれなかった!」
と寄ってきた。
「おっ!!今日は『おもり』なもんでぇ!」
しばらく話し込んでいた。私はYさんは何者かわからなかった。普通なら甚平の怪しい人であれば無視するのが当たり前だ。
パルコは井上といった松本の有名店を回った。
Yおじさんは紳士服、婦人服や子供服売り場にいって「これでもない」「あれもだめ」と服を選び出した。
どうやら同居の家族へのものらしい。買い方からいって頼まれたものではないようだった。
子供服やら婦人服やらいろいろ買っていた。
帰りの車で家族のことを話してくれた。
貧しい家の長男に生まれたYおじさんは中学を出て地元の会社に就職をした。免許を取って運転手になり、大型免許を取得してトラック運転手になった。
そして、弟や妹の学費を出した。弟が病気になり、その子どもの生活も援助していることがわかった。
弟も妹も旧帝大を卒業している。
家族のために進学を断念しただけではなく、家族の学費や生活の面倒をみていたのだ。
あの買い物も家族のためであった。
人徳があり、秀でた社交性があることからいろいろな知り合いがいた。悪いことははっきり悪いという。
あのサラリーマンが声をかけた理由もわかった。Yおじさんの人徳からだ。
私はYさんに
「仕事、何をしてる?」
といったら財布の中からバッジを出してきた。
市会議員だ。
つまり、この人徳で議員になったのだろう。いや、市政を変えたいためになったそうだ。
「市役所の議員もバカッコゾウが多いもんだね」(「バカッコゾウ」:スラング:信州弁でいう”うーまく”と”ふらー”の間」)
まったく鼻にかけないので議員だとは感じなかった。何も飾らないありのままのおっさんである。
学歴は事情があって得られない人もたくさんいる。
学歴がなくてもいい人はいる。
「たかし、人間は学歴じゃねぇ、人間性だ」
Yおじさんの言葉がわかった。
こんなことを高校1年のときに悟った。
学歴は武器の1つであって全てではない。実力があれば学歴なんていらない。
しかし、沖縄では本土から不条理を突きつけられないために向上が必要だ。
学歴はフレームであり、飾りである。それが沖縄には必要なのだ。
また、
大学名よりも大学は内容である。
私が大学で学んで2専攻、大学院で学んだ1専攻は教授や内容に自信がある。いきたくていった大学。すべり止めみたいな大学でもいきたくてしかたなかった。だからいった。友人も真面目だった。学んで、卒業してよかった。
先日の校友会で再確認した。
大学の先輩でもある、県内大手の不動産会社を営む先輩のエッセーを読んだ。新聞配達をしつつ苦学して大学を出た。東京で修行を積んで沖縄の不動産業の向上のために国際通りの3間の小さな店からはじめた。そして、今は県内屈指の不動産業だ。こういう先輩を知ると私は燃える。着実に沖縄を変えているからだ。
こんなことを書くと「塾長は矛盾している」と、また、いわれそうだ。
私が小中学生に「東大」を勧める理由は向上心をもって欲しいからだ。大きな目標を持てば妥協しようが挫折しようがそれなりで止まるからである。また、何も勉強することが決まっていないのなら何でも学部学科のある東大がいいからである。
沖縄の学力向上は一筋縄ではいかない。だからこそやりがいがあるのだ。強い沖縄に変えていきたい。