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はたちで塾講師になって感じた「ガラスの天井」

浪人中にエキストラのバイトをやっていた話を書いたが、その続き。

当時は四姉が結婚をしていたその相手からよく

「お前は安直だ」

「医学部受験なんかやめて就職しろ」

といわれた。就職活動用にバーバリーの高級ネクタイをプレゼントされたこもあった。

この男は薄給のくせに人気の車に乗っていた。家計は火の車だったのだろう。四姉もパートに出ていた。

フリーター浪人生の私がこの男の薄給に勝てるか試してみたかった。

バブル後期だったのでまだまだ景気はよかった。エキストラもプロダクションを3つも掛け持ちした。1日に3件も仕事が入ることもあった。すぐに月に20万を超えた。あの男の手取りが10万ちょっとなので余裕だった。

そんなことをしていたらなんかむなしいというかバカらしくなってきた。「このままじゃいけない」と思うようになっていた。

そこで現場でいろいろな人に言うようになった。そこで村上君という1つ上の関西人に出会った。彼は本気で俳優を目指していた。

「オカダくん!君も俳優を目指しているんだろう!!」

とよくいわれた。私は医学部を目指していると応えた。仕事帰りにマックで遅い夕飯食べながら食事をした。村上君はマックのクローズシフト(夜間清掃)もしながら俳優を目指していた。私は「エキストラで終わらないでほしい。どんどんオーディションを受けな」といった。無名塾など有名な養成所を受けていた。

彼が大物俳優が主催する劇団のオーディションに合格した。電話が来て一緒に喜んだ記憶がある。

村上君も夢に向かって歩みだした。そこで自分も勉強を生業にして浪人をしようと考えた。

そこで当時は求人誌も毎日や週2で出る時代だった。そこで「塾講師」を希望して探した。しかし、多くは「大学生」だった。その中で「専門学校生」という求人を見つけた。即座に交渉をした。

「受験をしていない専門学校生と受験に精通した東大受験生のどっちがいいですか?」みたいなことを話した。電話に出たのはその塾の社長だった。もともと信金の関連会社で支店長上がりの社長は「君は面白い!一度会おう」となってその日に面接になった。社長は気に入ってくれた。しかし、塾長は怪訝そうだった。1週間の試用期間でどうにか採用してもらった。

仕事に入ると「高卒」であるがゆえに風当たりも強かった。何かあれば「オカダ先生は大学に行っていない」とか「テキトーな科目をやっていれば」と国語と理科と社会しか担当させてもらえなかった。しかし、どの科目も一生懸命に指導をして生徒さんの成績を上げていった。このときの経験が国語に強い塾の源流ともなっている。

あるときに生徒さんが塾長と専任講師が喧嘩をしているといいにきた。職員室は修羅場モードだった。この2人は同じ大学で学部がちがった。塾長は文学部卒、専任講師は法学部卒で司法浪人中だった。専任講師が

「お前なんて文学部だろ!オンナの行く学部だ!」

「塾長に何をいうんだ!」

といった感じである。この問題に「高卒」の私が関知する余地がない。生徒さんをその場から話して間を埋めることくらいしかできない。

こんな光景を目の当たりにすると大学って何なんだろう?と思うようになった。しかし、このことで学歴否定はできない。実際に「高卒」であるから何も意見はいえないのである。

「高卒」ではいいたいこともいえないことがある。これは今の社会は学歴社会であるからである。

私はその翌春に医学部ではなく「塾で国語を教えたい」という理由で文学部国文学科に進んだ。国立医学部以外で受験をしたのは1大学でこの学部学科だけだった。中高生にもっと国語や古典を教えることを極めたかったからである。

さて、学歴社会における大卒に関しては、端的に東進の林修先生がテレビで語っていたことが記事になっている。

https://chaccari-mama.net/?p=4498

私の仕事は子どもに夢持たせてそれを培うお手伝いをすることだとつくづく思う。

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