ネットのバナー広告で「桜美林大学新宿キャンパス」をよくみる。
東京郊外の町田市にある桜美林大学が東京に進出したのだ。
桜美林大学の東京進出は15年くらい前に始まっていた。
新宿南口駅前の大学院のサテライトキャンパスを設置。
当時、牧師の修行をしていた韓国系の教会にそこの学生がいた。
彼女が朝鮮族で英語、中国語、韓国語、日本語が堪能だった。
そして文科省の国費留学生の試験にもパスしていた。アカデミックな話をよくしていてすごい学生がいるという印象があった。
実際に桜美林は1989年に国際学部を設置したときから大学の教育内容も充実してきた。
当時、先駆的だった国際学部は亜細亜大の国際関係学部ように留学させる方針があった。
亜細亜も桜美林も日本人留学生が比較的少ないアメリカの大学へ留学させていた記憶がある。
これが日本人がいると日本語を話してしまうのであえてそういった大学に送ると当時、亜細亜大と桜美林に通っていた友人がいっていた。
あ、桜美林の話にもどそう。
1992年度に家庭教師をしていた生徒さんが桜美林と明海大に合格した。そこで彼女が選んだのは桜美林だった。
入学してからいろいろな感想を話してくれた。
「休講になってもかならず別に日程で授業をする。」
「休みが少ない」
「教授が勉強にとことん付き合ってくれる」
「すげー勉強させられる」
「勉強するために大学に行ったんだからいいんですけどね」
と。
大学は本来勉強をするところであるということを知っている学生なのでその自覚に十分にこたえてくれているようだった。
当塾からも大学受験2期生で開邦英語科の生徒がいた。
入試で
神奈川大、関東学院、桜美林に合格した。
おそらく「神大」に行くと思ったら「桜美林」を選んだ。
桜美林は2007年度にすでにキャビンアテンダントコースを設置している。航空業界への就職をいち早く意識していた。この生徒さんもパイロットになることが夢だった。
そこで桜美林を選択した。
その後のことは当塾のパンフレッドに掲載されている
大学は先を見る目と学生のためにいかに学ぶ仕組みをつくるかである。
桜美林はそういったことをいち早く取り組んだ大学といえる。
東京郊外の町田市にある桜美林大学が東京に進出したのだ。
桜美林大学の東京進出は15年くらい前に始まっていた。
新宿南口駅前の大学院のサテライトキャンパスを設置。
当時、牧師の修行をしていた韓国系の教会にそこの学生がいた。
彼女が朝鮮族で英語、中国語、韓国語、日本語が堪能だった。
そして文科省の国費留学生の試験にもパスしていた。アカデミックな話をよくしていてすごい学生がいるという印象があった。
実際に桜美林は1989年に国際学部を設置したときから大学の教育内容も充実してきた。
当時、先駆的だった国際学部は亜細亜大の国際関係学部ように留学させる方針があった。
亜細亜も桜美林も日本人留学生が比較的少ないアメリカの大学へ留学させていた記憶がある。
これが日本人がいると日本語を話してしまうのであえてそういった大学に送ると当時、亜細亜大と桜美林に通っていた友人がいっていた。
あ、桜美林の話にもどそう。
1992年度に家庭教師をしていた生徒さんが桜美林と明海大に合格した。そこで彼女が選んだのは桜美林だった。
入学してからいろいろな感想を話してくれた。
「休講になってもかならず別に日程で授業をする。」
「休みが少ない」
「教授が勉強にとことん付き合ってくれる」
「すげー勉強させられる」
「勉強するために大学に行ったんだからいいんですけどね」
と。
大学は本来勉強をするところであるということを知っている学生なのでその自覚に十分にこたえてくれているようだった。
当塾からも大学受験2期生で開邦英語科の生徒がいた。
入試で
神奈川大、関東学院、桜美林に合格した。
おそらく「神大」に行くと思ったら「桜美林」を選んだ。
桜美林は2007年度にすでにキャビンアテンダントコースを設置している。航空業界への就職をいち早く意識していた。この生徒さんもパイロットになることが夢だった。
そこで桜美林を選択した。
その後のことは当塾のパンフレッドに掲載されている
大学は先を見る目と学生のためにいかに学ぶ仕組みをつくるかである。
桜美林はそういったことをいち早く取り組んだ大学といえる。